中学生の頃の、職業体験の授業で、僕は何をどう思ったか「お寺」を選んだ。
障子と畳、それに仏様の顔が好きだったから、という純なのか不純なのか、微妙な理由からだったのだけれど、そこでは――こう言ってはアレだが面白い体験をした。
納骨堂を見たことだ。お寺の職業体験――と言っても、やらせていただいたのはお堂の掃除や写経や、どのようにお坊さんになるのか、というビデオを見ることや……そういう感じのことだったんだけれど、掃除のときに見たのが納骨堂だった。

その頃、たぶん幸運なことだったのだろうけれど、僕は葬儀というものに出たことはなかったし、葬祭場の中も知らずにその年まで生きていた。
身の周りのひとが、誰も死ぬとは考えられなかった頃だった。
そんな時代の僕にとって、ひんやりとした雰囲気の、ずらっと小さな祭壇とロッカーのようなものの並んだ納骨堂の風景は新鮮で、別の世界のもののようだった。

大人になって、何度か葬儀に出た。葬祭場に入った。そして納骨堂へも行った。
葬儀のあとに納骨堂へ行ったのは、叔父の一人がそこで永の眠りをねむることになったからだ。葬祭場も小ぢんまりとしたところで、葬儀の規模も小さかったと思う。
あまり人付き合いが得意なひとではなかったし、一人で気楽にいるのが好きなひとみたいだった。叔父の遺体は葬祭場から火葬場へ向かい、それから納骨堂へ入った。そして、そこから霊園へ行くことはなかった。
叔父は、自分のお墓を用意しなかったのだ。納骨堂に納められたまま、そこでねむることを選んだのだ。

僕がそういう「ねむり方」を、《永代供養》と呼ぶのだと知ったのは、もう少し後のことだった。

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